明治を切り開いた維新志士で最強無比の伝説を誇る「人斬り抜刀斎」こと、緋村剣心と、赤報隊の生き残り相楽左之助の一戦が63ページで行われています。前後のセリフから明治10年に戦われたものですが、これが大きなキーワードになります。
まず、対局には駒台(※1)がありませんでした。駒台は明治後期に開発されたものなので、緋村−左之助戦の時代には存在しません。これ、作者の方が承知で書かなかったと推測されます。
セリフに隠されていたので、盤面配置が確認できたのが左の図なんです。一目見て「つええ!」と思いました。この局面までの、私が仮想した手順は次のとおりです
▲緋村VS△左之助
▲7六歩△8四歩 ▲6八銀△3四歩
▲7七銀△6二銀 ▲7八金△6四歩
▲4八銀△6三銀 ▲5六歩△5四銀
▲5七銀△7四歩 ▲6九玉△6二飛
▲5八金△7三桂 ▲6六歩△8五桂
▲6八銀左 △6五歩▲6七金右 △6六歩
▲同 銀△6五銀 ▲同 銀 で図に
いやあ、実に見事な応酬です。5手目▲7七銀を見て右四間から機敏に動く左之助の序盤感覚はプロに通ずるものがあり、この積極性はわたしの好みでもあります。
また飛車先突かず矢倉は昭和50年代に田中寅彦先生(※2)が開発したものだと思っていたら、明治10年にすでに剣心が指していたんですね!オドロキの新事実(?)です。
刺客・黒笠が襲撃してきたので、この後の進展はよく分かりませんが、前述の仮想手順を指していたとすれば、現代の県代表クラスにも引けをとらないと見ました。また、作者である和月伸宏先生は、かなりお指しになるのではと、わずか2ページの描写でも感じられます。
と、いうことで緋村剣心 四段/相楽左之助 五段を認定
(※1)持ち駒を置く台
(※2)「序盤のエジソン」の異名をとり革新的な戦法を編み出すプロ棋士
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